東実祭 オンライン文化祭

蒲田行進曲〜松竹キネマ蒲田撮影所〜

松竹蒲田撮影所建設

明治29年に創業した松竹は、25年後の大正9年に蒲田撮影所を開設した。撮影所としては井の頭公園や大宮公園などが候補地とされたが、交通が便利だという理由で蒲田に決まり、東京府荏原村(現在の東京都大田区蒲田五丁目)の中村科学研究所の跡地9,000坪と煉瓦造りの事務所1棟を買収した。屋根を硝子張りにしたグラスステージと人工光線のみを使用するダークステージをそれぞれ1棟ずつ建設、俳優学校もここに移したのであった。この、蒲田五丁目は現在のアプリコホールの場所である。専属俳優としては、川田芳子、三村千代子、緒口十九、岩田拓吉 などが居た。翌年には蒲田撮影所での第一作目となる「路上の霊魂」が公開された。
(当時の葉書より)手前の橋は松竹橋。

松竹特作「愛して頂戴」

この映画は昭和4年のサイレント映画である。無声映画を上映し活弁師が場面に合わせて音楽をレコードから流したり、語りを入れる映画はサイレント映画と言い昭和8年前後のオールトーキーになるまで続いた。レコードでの主題歌は佐藤千夜子が歌い、オリジナル盤の片面には俳優によって台詞が吹き込まれている。モダンガール・モダンボーイと言った若者で街はモダン一色の時代であり、そんな時代で「君恋し」「君よさらば」と言った若者の恋を歌った歌が多くありこの主題歌もモダン時代の空気が感じられる。作詞は蒲田レコード製作部である。
「愛して頂戴」レコードレーベル

「愛して頂戴」の音源

蒲田行進曲

今も尚、京浜東北線蒲田駅の発車メロディとして響き渡る蒲田行進曲は昭和4年発売の松竹蒲田撮影所が題材の歌である。歌詞で〽︎虹の都 光の港 キネマの天地 と歌われているが、キネマの天地とは蒲田の事である。オリジナル歌手は曾我直子・川崎豊で、コロムビアレコードより松竹映画小唄として発売された。レコード吹き込みの伴奏は松竹ジャズバンドあった。原曲は、SONG OF THE VAGABONDS 放浪者の唄(レヴュー「放浪の王者」より)である。このメロディに堀内敬三が歌詞を書き、松竹映画「親父とその子」の主題歌として発表された。

モダンな蒲田

大正から昭和初期にかけてモダンのブームであったが、昭和初期の蒲田は時代の最先端をモダンな街であった。「流行は蒲田から」という言葉が生まれたほどで、喫茶店や西洋風製品の製造工場も数多くあったのである。工業も盛んな街で、船舶用ディーゼルエンジンを開発した新潟鉄工所の工場や高級洋風陶器で知られた大倉陶園の工場もあった。昭和13年以降から戦況は大陸各地へと拡大した頃、蒲田の工場では飛行機のエンジンや機関銃が製作されるようになった。正確さが求められる潜水艦の深度系から、数ミリのズレがあってはならない銃砲の弾まで作られていた。昭和20年5月の事、蒲田・大森の町工場を焼くための空襲が幾度も行われ沿岸部から千鳥町付近までが焼け野原になった。戦後は多くあった町工場は区外へと移り、今では数える程の工場しか残っていない。

松竹蒲田レコード製作部

松竹キネマの映画主題歌を主に吹き込んだレコードを製作部していたのも、蒲田にあったレコード製作部である。このレコード製作部が制作した昭和9年の下加茂川オールトーキー主題歌「赤城の子守唄」は大ヒットとなり、今も歌われる昭和流行歌の最高傑作である。吹き込みを行った東海林太郎がこの曲の大ヒットにより、スターとなったのであった。
作詞は佐藤惣之助、作曲は竹岡信幸。(当時の歌詞カード)

松竹レコード

昭和6年の映画である「モダン籠の鳥」主題歌レコードレーベル
作詞は松竹蒲田音楽部である。

撮影所は大船へ

1931年に柳条湖事件を発端とする満州事変が発生して以来、日本は軍備の製造所拡大となり松竹蒲田撮影所の周辺は次第に軍需工場へと変化していった。昼夜問わず鳴り渡るエンジンなどの機械音は、無声映画時代であれば支障はさほどないがトーキーになってからは撮影どころではなくなったのである。音が邪魔という理由により、撮影所は大船へと移ったのであった。移転先としては草加方面や平塚などの地が候補となったが、近くには横浜があり鉄道では東海道線や横須賀線があり交通も便利である大船に決まったのであった。昭和11年の初夏に鉄筋コンクリートの建物をメインとする大船撮影所が完成した。松竹大船映画では、「愛染かつら」でヒロインを務めた女優 田中絹代や俳優 高田浩吉が所属した。昭和15年以降は戦意高揚を目的とする外地が舞台の映画が多く制作されたのであった。

松竹大船映画「愛染かつら」のスチール
かつ枝 役の田中絹代と津村浩三 役の上原謙が写っている。

松竹大船映画「海の星」主題歌レコードレーベルより
左から高田浩吉、井上正夫、田中絹代。

後書きにて

松竹蒲田映画の歴史とともにその時代背景を著した次第でありますが、今年は松竹映画100周年の年でもあります。この100年間に数え切れない程の出来事があり、忘れてはならない事も多くあるのです。100年前と言えばモダン、ジャズ、カフェー、の言葉で溢れる束の間の平和な時代でした。しかし、その11年後には柳条湖事件を発端とする満州事変が起こりそこから大陸全土へと戦火は昭和18年頃まで燎火の如く拡大し、太平洋戦争(当時で言う大東亞戦争)が昭和16年に開戦し昭和20年に終戦。戦後は高度経済成長とも言い公害などの様々な問題があったのです。そんな激動の100年間を映画は時代を写し、主題歌もまたどんな時代であったかを物語ってます。新しい映画、歌を見て聴くばかりではなく現在の文化の礎となった時代を知るのも文化を楽しむ者の使命であると考えます。

参考資料

参考資料
ウィキペディア
昭和の歌謡史 福田俊二 著

安部 啓太 編著
資料画像は著者の所蔵品につき画像無断転載禁止とする。
蒲田撮影所の写真:1930年代発売絵はがき
映画「愛染かつら」スチール:1938年発売「愛染かつら写真集」

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