・随想1「何思う」 ・随想2「誇り」 ・随想3「わびしさ」 ・随想4「涙・泪・なみだ」
・随想5「おかげ様で」   ・随想6「OBの活躍」   ・随想7「間違った風潮に流れている」
・随想8「早稲田のラグビー部みたいでしたね。」   ・随想9「英語は必要だ!!世界は面白い!!異文化に触れろ」
・随想10「ニュートンから学ぶべき『悟る』こと」   ・随想11「親の愛情は限りなく深い」
・随想12「サポーターからのバレンタイン」    
監督随想12

 減量して試合に臨もう。生徒に厳しいことを言う以上、自分にも厳しい事を課さなければ。こんな思いで体重の減量を始め、75キロ代でT1リーグ開幕に臨もうと11月中旬自分と約束した。そして、朝の全体ミーティングで生徒にもそんなことをつい口ずさんで言ってしまった。やばい口が滑ったとはこのことか。本当にマズイと思った。年末には忘年会、正月、新年会、反省会・・・色々あるのだ。ただ言った以上はやってやると思った。11月当時85.4s→75s台に。約−10s

 そんな中、普段は車や自転車を使ってグランドまで行っていたが、減量を決めてからは走ったり、歩いたり、生徒と同じ道程を往復することが多くなった。そこで、声を掛けてくれる二人のサポーターがいた。花屋さんの女性の方と、マンションからいつも元気に挨拶していただける女性の方だ。数年前から挨拶をしてくれていたそうだ。私は花屋さんの女性の方しか気づかなかった。生徒達は二人の方と会うといつも挨拶をして信頼関係を築いていた。帰りにお菓子をもらって帰ることもしばしばあった。すると2月15日(月曜日)、トップチームの課題練習が終わってから、数名がチョコを持ってコーチ室に来た。副キャプテンから「花屋さんからチョコをもらいました。」と連絡が入った。花屋さんからのバレンタインチョコレートだった。私は副キャプテンに「バレンタインチョコをもらったか」と尋ねると「誰からももらってません」というので、私は「日頃の気持ちだから全員で食べていいぞ」と伝えた。花屋サポーターから東実への愛です。こんなに嬉しいことはない。生徒は帰りのミーティングが終わってからかじりついて食べた。

 東京実業高校サッカー部は二年前より後援会も発足してサポート体制も充実してきた。それに輪をかけて地域の方からも応援されればありがたいかぎりだ。より良い教育環境を目指しサポーターも増えてくれれば嬉しい。

 生徒がチョコをもらった人はせいぜい母親と今日のサポーターの2個くらいか。私は妻と二人の女子生徒サポーターから合計3つもらったよ。生徒は私より多い4つチョコをもらえたら大したものだな。

 次の日、俺の体重は76.5キロになったと選手に朝ミーティングで宣言した。後はサウナに行けば0.6キロはすぐ落ちる。有言実行したよ。ただまだ75キロ代まで到達してない。最後の最後まで気を抜かぬように。

監督随想11

@あたりまえですが、日本は周りを海に囲まれています。諸外国に行くには海を超えなければ行くことは不可能です。こんなことは小学生でもわかると思います。これが、なかなか日本にいると実感しないことです。
さて、2010年夏、我が家は国際色豊かな家となりました。まず学校の交換留学制度でアメリカ人留学生が我が家にやってきて4泊5日滞在しました。その後はオランダ人コーチが2人、実家にはスイス人、韓国人がホームステイをしていて我が家に遊びにきました。その時の会話は全て英語でした。アメリカ人、オランダ人、スイス人、韓国人に私達日本人、五カ国の人間が集まって話す会話は英語でした。海に囲まれた日本にいると「英語は必要ない」「将来は使わないから平気」と多く思っている日本人は多くいると思います。しかし、改めて英語の重要さを実感しました。オランダ人、スイス人は母国語の他に英語ともう一つの語学ができます。陸続き欧州だから必要かもしれませんが、余りにも日本人は日本語しかできない気がしました。

Aこのまた文化の違いが面白い。オランダ、ドイツにいったときの事、アップは適当にフラフラとやる気があるのかわからない状態!!いざ試合になるとスイッチ全開。人間が変わったようにサッカーに集中する。 アヤックス、AZ、ユトレヒト、NECのトップチーム、ジョギングを適当にしながらフラフラ二周。しかし、コーチミーティングの後は目つきをかえて取り組み、オランダ代表AZキャプテンのMFスハールスは、パス練習、ラダーを100%取り組み顔つきが恐ろしいほど真剣になった。その姿、姿勢は今でも目に焼きつく。ON、OFFの切り替えが凄い。NECユースは最初サッカーバレーで超盛り上がる。ワイワイゲラゲラ楽しそう。その後の練習を日本人なら集中してふざけて終わってしまうが、切り替え集中する。日本人楽しい=ふざける。欧州楽しい=こだわるにうつってしまった。切り替えが上手な欧州人、下手な日本人。これは本校の交換留学生からも感じられる。ピアスや服装は派手だったりするが、人の話は良く聞いてる。だからといって欧州がすべていいとは言えない。アップから集中することも必要だ。そこは本校でも欧州、日本の良いところをとりいれ指導したい。

B世界に興味が広がった。理由は簡単だった。日本で教わっていた事が全てではいといことだ。サッカー協会、日本の指導者が全てではないと言うことだ。サッカーに関する全ての事が変わった。恩師の話を聞き、世界の友達と話してから。
日本でバルセロナ、マンチェスター、セルティック等のコーチを招聘してクリニックを開催して私も足を運んだことが数回あるが、果たして意味があったか。答えは「意味がほとんどない」に近い。ただ、練習の参考になる部分はあったかもしれないが、クリニックがチーム全体に解けこみ反映したことはない。 
チームに溶け込み反映しない理由として、そのクラブがなぜその練習をしているか我々にはわからないからである。練習は目的やチーム状態、チーム最終目標があって、初めて成立する。そのクラブの伝統、哲学、地位、システムを我々日本人は知らないで一流クラブの練習だけを体験してもほとんど意味のないことだ。むしろ練習内容なんかはどうでもいい。日本中の本屋に行けば練習方法などいくらでもある。大事な事は『伝統、哲学、クラブシステム、役割』を知った上で練習方法を学ばないと全く意味のない練習になってしまう。

C皆さん承知の通り、3度目のオランダ研修となりました。今回はサッカーから少し離れて、オランダと日本の違いを一つ紹介し、子供を指導する時に私が考えなければならないことを紹介したいと思います。またオランダという国をサッカーだけでなく色々な側面で見てきました。生徒諸君、クラブ部員も少しでも世界に興味が向いたらうれしい限りであります。
まず日本の電車案内は本当に親切だと感じました。私は今回、母校の生徒と一緒にオランダ遠征に参加しました。しかし、校務のため二日遅れてオランダ合宿地に合流することになりました。オランダは前回来ていたので乗車方法や切符購入方法は知っていましたが、今回はドイツ方面の合宿地なのでアムステルダム空港駅から約2時間電車に乗らなければ合宿地にたどりつけませんでした。
まず空港駅からナイメヘン駅まで1時間30分程乗らなければなりません。電車に乗って気づいたことは、日本のように、案内ポスターや乗り換えポスターなどなく、駅に止まるたびに「WHAT IS NEXT STOP?次の駅はなんですか。」と質問して降りる駅を確認していました。それに比べ日本の駅や車中は広告や、案内板が必ずあり、丁寧に英語でも表記され車内放送も完備されているので外国から来る方にはとても助かるのではないかと思います。最近では、駅の改札が何両目の車両に乗れば一番近いのかまで書いてありとても親切な気がします。日本では毎回次の駅はどこかと聞く必要もないと思います。
さて、教育をする上で日本的な親切とオランダ的な不親切さの両方必要だと思います。時に日本的に親切に何でも教える方法と、オランダ的に何も情報を与えず自分で考え、自己責任をとらせることも大事な要素であります。
強引かもしれませんが、この親切さと不親切さが教育には必要なことだと思います。異文化を触れた事によって、単純かもしれませんが、色々な体験し学びました。

世界に行けば色々な発見を見つけます。生徒やクラブ部員にはもっと多くを紹介したいと思います。サッカーや生活習慣でも伝えたいことがたくさんあります。機会を見て話していこうと思いますので、生徒、クラブ部員だけではなく、授業でもこの経験を伝えていきたいと思います。
監督随想10

 ニュートンはリンゴが木から落ちるのを庭で見て重力の科学的なヒントを得たことは皆さん知っていると思います。科学的な詳しい知識や理科的な難しい話は私もわかりませんが、なぜニュートンがリンゴが落ちたのをきっかけで万有引力などの科学文明の基礎を気付けたでしょうか。理由は、きっと「重力のこと」について必死になって考えていたのでしょう。だから、普通の人がリンゴを落ちたのを見ても何も気づかなかったですが、ニュートンは重力の事を常に考えアンテナを張っていたので、リンゴが落ちたのをきっかけに重力のヒントを「悟った」のだと思います。


私もサッカーのことを考えて「悟る」ことがあります。また、教育、人間についても、何かを悟ることがあります。ただここはサッカーのホームページなのでサッカーの事を書きますが、遠征後サッカーノートを書いていてサッカーの個人や守備のことを考えて試合ビデオを見たときに、ハット気付き悟りました。サッカーの個人とは『33分の1』でしかないということ。この「33分の1」はここでは説明でしませんが、何かを悟る時や気付くときは、物事を真剣に真面目に普段から考えているから閃くと思います。私も、リンゴが落ちるのと同じように、物事のヒントを悟ることができるのだと思いました。みなさんもニュートンと同じように目標に向かって何か常に考えていると、ちょっとした現象で何かを「悟る」のではないでしょうか。

監督随想9

 HRでも話しましたが、先週の火曜日(2月8日)に私は早退し、翌日の水曜日(2月9日)は欠勤しました。理由は家内が出産を2月10日(予定日)に控えていたからです。
家内は2月8日に最後の検診に病院へ行きました。超音波検査をしたところ心臓の音が聞こえないようでした。赤ちゃんが亡くなっているのではと医者に言われ私の元にも連絡がかかってきました。「今から急いで病院に来てほしい」とのこと。その日に早退して病院に直行。いくら超音波を当てても心臓の音が聞こえませんでした。2月4日、5日までは元気に動いていた赤ん坊もお腹の中で力尽きたようでした。理由はわかりません。そして、このままだと母体にも悪影響を及ぼすとの事で次の日に陣痛薬を投与して出産。死産となりました。あと一週間ほど頑張れればこの世の生を受けていたのに。
死んだ赤ん坊を見て家内や私はほっぺや体をなでたり、顔に口づけをしたり、気が済むまでそのような事を病室で行っていました。なぜ亡くなっている赤ん坊をなでたり、口づけができたのでしょう。きっと家族だからです。家族の情は深いからできたのです。他人には絶対にできないと思います。私の身内、家内の身内でさえもしていませんでした。

親と名がつく存在は絶対に君達に深い愛情を持って接しています。M2Bの諸君はそのことをしっかり理解してもらいたいと思います。親は口には出しませんが必ず思っているはずです。だから親に迷惑をかける事はやめてほしいと思います。親のアドバイスを聞いた方がいいと思います。反抗期だから親が何を言っても伝わらないかもしれませんが、それでも親は子供に対して他人、担任より絶対に深い愛情を持っていることを君達は理解して下さい。君達にとってとっても大事な存在だということも理解して下さい。赤ん坊と対面して改めて気付かされました。担任の子供への愛情は親の愛情の100分の1にも満たないとつくづく感じました。

 

監督随想1
 時は2月OO日、大田区の小さな商店街や町工場が立ち並ぶ銭湯での出来事。休みを使って昨日の疲れを癒しにやってきた。ジャリジャリとポケットの中からお金を取り出して支払いを済ませ後、脱衣場に入っていく。着替えて湯船につかり爽快になったので一休み。脱衣場で新聞紙を広げサッカーの紙面に目を通した。・・・・しばらくたって体も冷えてきたのでもう一回湯船につかろうと浴槽に行こうとしたら一人の老人男性が入ってきた。片足の膝から下がなく洗面道具を持っているため普通の歩行ができない、手をつきながら風呂場を移動する。その姿に私は心が痛々しくなった。そんな光景を見て「手伝ってあげようか」などと思いながら再度入浴した。ゆっくり風呂場全体が見える位置に腰掛けた。

 すると、先ほどの膝下のない老人が必死で体を洗っている姿があった。目を違うところに移すと「あそこの老人もお腹に大きな傷跡があるな」!!!!!もう一度たいした人数の入っていない風呂場全体を良く見渡すと「肩には火傷の跡と思われる老人が」「顔には大きなできものがある人」「膝の裏には何度かメスでも入れたような老人」  不思議なことに歳を召した方ほどそのような傷が多いのだった。「あの老人は何で足がないのか、シベリア抑留の強制労働で足を失ったか、肩の火傷は東京大空襲の跡かな、または機械にでも挟まれたのか、足のない状態でこの人は何年生きたのだろうか。老人達は体に大きな傷を負い、血を流し、汗を流し、歯をくいしばって何十年も人生を生きてきたのが伝わってくる。それに比べ若者は体も不自由なく動くのに我がままで自分の言いたいことだけは偉そうに言う。つらい体験を乗り越えてないのに老人に偉そうなこと言いい、体は大人かもしれないが、心は未熟だ。「本当にこれからの日本は大丈夫かな」私は、「このような年輩の方々が汗を流し血を流して今の平和な豊な日本があるんだなと思った。」「東実生、この老人方の苦労を見習え」そんなことを考えながら風呂につかっていた。「老人も足がないのに頑張ってるな、『少しのぼせ気味になったが』老人を見習って頑張らないと。休みだが早く帰って仕事しよう。」風呂場を出るときに若者とすれ違った。傷もなく体が不自由なく動く若者だ。彼は風呂場で何を思うか。 私はこの銭湯で改めて自分の未熟さを悟った。

監督随想2

 私の携帯電話にたまに卒業生のお母さん方から連絡が入ります。内容は「三年間ありがとうございました。」から始まり、「うちの子が昨日スリランカに行きました。」「今、我が家にうちの子が女の子を連れてきているのですが先生どうしたらよいのでしょうか!!?」など用件はさまざまですが、卒業してからも母親の皆様から突然連絡をうけることがしばしばあります。

 そんな中、9月の初めに顧問と私のところへある卒業生の母から電話がかかってきました。「ありがとうございます。何かお礼をさせてください」とのことでした。その理由を聞いたところ、その卒業生の父親が八月の下旬に亡くなったそうなのです。そして、その年度に卒業した本校サッカー部の生徒が御通夜に全員見えて、挨拶、焼香のあげ方、礼儀がとても立派で素晴らしくその母親が感動をしたそうなのです。だから「先生、生徒の皆様に何かお礼がしたいのです」との内容の電話でした。私はお母さんにこう答えました。「生徒はお返しが欲しくてお通夜に行ったわけではないと思います。卒業生達の気持ちでお通夜出席したのでしょう。だったらお母さん、卒業生に心の中でありがとうと強く叫べば思いは通じるはずですので、御礼はすることもないのではないでしょうか。私から会った時に一言伝えておきます。」・・・ということを話して電話を切りました。

私は、その言葉を聞き大きな感動をうけました。「誰かつらい思いをしている時に全員で助け、人間は一人では生きていけない。」このことは私が卒業生に在学中三年間言い続けたことでした。試合に勝ったときも、もちろん嬉しいですが、卒業した生徒達が更に成長し、立派になっていることを知ったとき指導者としての嬉しさが更に込み上げてきます。私は生徒たちに「三年間でレギュラーになる人、なれない人はいる。しかしこの三年間が人生の全てではない。肝心なのは卒業して社会にでてからが大事なんだ」と言っております。卒業生は私が在学中に言ったことをどこかで感じてくれたのでしょうか、感じてくれなくても立派な行動をとってくれた卒業生は素晴らしいことではないでしょうか。一人が皆に伝え、全員が意見に賛同してお通夜に行ったと思います。私は巣立っていった彼らと在学中の三年間時間を共有できたことを改めて誇りに思います。

こんな事を考えていると涙が止まりませんでした。

 

監督随想3

 わびしさ。

 平成19年6月職員室での出来事。机に座ってテスト問題を作っていると『そーですか、あらー、ええっっぇつ、最後だ!』と何だか職員室が騒がしくざわめいていた。職員室が騒がしかったのは2学年が修学旅行前だったので、先生方の打ち合せでざわめいていたと思っていた。すると、体育科の先生が『アーチ、アーチ』と叫んでいた。私は「修学旅行の打ち合わせではない」と思い、職員室で騒がしかった現場に向かった。他の先生も私と同様に現場に集まってきた。 

集まった理由は用務の『ナカ野さん』がこの日で学校を離れるからであった。本当は今年の3月で退職したので学校に来ることはなかった。しかし、一学期が終了するまでボランティアとして残ってくれた。私は昼の出前を注文するときにいつもナカ野さんに頼み、お客さんが来た時もお茶を入れてくれ、私が飲んだコーヒーカップなどを片付けてくれ、職員室の床を磨いてくれるなど、生徒と直接触れ合いはないが、教員にとっては頼もしい存在であった。また、「印刷機が故障しました!」「コピー機が動かないので直してもらえますか!」など何かとお世話になった。そして、ナカ野さんが辞めてから知ったのですが、先生方が椅子の上に置く座布団カバーを毎年、年度末に洗濯して新年度が始まる時には元に戻してくれたそうなのです。7年間勤めてきましたが一度もその事に気づかなかったのです。

そんな縁の下の力もちとなっていたナカ野さんが去る時となりました。体育科の先生の『アーチ、アーチ、アーチで送ろうよ』の掛け声のもと、先生方が職員室中央に集まって二人一組になり、つないだ手を上にあげアーチを作りました。アーチの下をナカ野さんが拍手喝采で歩き、一歩ずつ床をかみ締めるように歩いてくぐり抜けて行きました。その後、陸上部の先生が「ナカ野さん最後に冷やしそば注文お願いします」と一言。・・職員室が笑いに包まれました。そして、ナカ野さんは目に涙を浮かべている様に私には映りました。 ほんの短い出来事でしたが、職員室が笑いと涙に包まれた温かい幸せな時間でした。 

ナカ野さん。お疲れ様でした。ありがとうございました。この場をかりてお礼を申し上げます。ナカ野さんがいなくなった職員室は何だかわびしい気がします。

 

監督随想4

 涙・泪・なみだ

 選手権東京都大会二回戦の相手は帝京高校でした。東京実業は試合前直前のエンジンでスタメンの11人が声をかけます。その最初の一人であった鈴木護が「勝って先生を泣かそうぜ!!」と声をかけました。「私は試合後のことなんか考えなくていいから、試合に集中をしてくれと思いつつ、その言葉を聞いて思わず目頭が熱くなりました。」 彼はきっと勝ったら私が泣くと思っていたのでしょう。 

私は感極まって思わず涙を流すことがあります。この選手権大会地区予選でも、夏の炎天下、確か熊谷市で40度を超えた日であります。前の試合はお互い走り攻守の攻防が凄い試合でしたが、本校の試合は気持ちが入ってなく、暑くて省エネサッカーをやっているように映りました。結果は4対0で勝ちましたが、不甲斐ない試合をしたメンバー20人に私は強い口調で怒鳴りました。雷を落とした理由は、高校の三年生にもなると自分の実力がわかってきて、自分が試合に出れないのもウスウス感じます。しかし、東実の3年生は手を抜きません。一生懸命にサッカーに取り組み、一生懸命後輩を指導します。試合に出場する可能性がない彼らは東京実業高校のサッカー部として必死で「もがき、苦しみ、辛抱して、あがきます。」その姿を見て、毎年感動して涙があふれることがあります。試合に出れる可能性がないのにチームの為に必死になる。試合に出た連中はその事を忘れ、試合に臨んだから私はメンバーにも入れない三年生を思い浮かべて涙ながらに雷を落としたのです。

勝っては泣き、負けては泣き、怒っては泣き、しばいては泣き、そんな私の涙もろさを鈴木護は知ったのでしょう。 

私はもし帝京戦に勝ったら鈴木護が予想したように泣いたでしょう。彼は三年間で人の心まで読めるように成長したように思います。ただし、今度は東京都で一番になって泣きたいと思います。  しかし、心配事が一つあります。それは卒業式の日です。私の目から大きな雨が降るかももしれないからです。


東実生よ・OB諸君よ

泣けるくらい努力をしなさい。泣けるくらい仕事に熱中しなさい。泣けるくらい誰かを愛してあげなさい。そして泣けるくらいの人生を送ってください。

 

監督随想5

おかげ様で

『夏が来ると冬がいいという、冬になると夏がいいという

太ると痩せたいという、痩せると太りたいという

忙しいと暇になりたいという、暇になると忙しいほうがいいという

自分に都合のいい人は善い人だといい、自分に都合が悪くなると悪い人だと貶(けな)す

借りた傘も雨があげれば邪魔になる

金を持てば古びた女房は邪魔になる、世帯を持てば親さえ邪魔になる

権力を持てば下に不平を放ち、権力を持たなければ上には悪口陰口を言う

衣食住は昔に比べりゃ天国だが、

上を見て不平不満に明け暮れ、下を見ては愚痴ばかり

どうして自分を見つめないか、静かに考えてみるがいい

いったい自分とは何なのか

親のおかげ、先生のおかげ、世間様のおかげの塊(かたまり)が自分ではないのか   

つまらぬ自我妄執(もうしゅう)を捨てて、得手勝手を慎んだら世の中はきっと明るくなるだろう

オレがオレがを捨てて、おかげさまでおかげさまでと暮らしたい』 


この文章は野村克也さん(現楽天監督)の「野村ノート」から一部抜粋したものです。

私はこの文章を初めて読んだ時に、心の中がゾッとして、妙に納得をしてしまいました。人間はいかに我がままで自分勝手であるということを身をしみてこの文章から感じました。 以来私は、クラブの生徒や、倫理の授業でもこの用紙を必ず配って生徒に読ませています。 皆様もおかげ様でと日々暮らしてみたらどうでしょうか。

 

監督随想6

OBの活躍

 私が東京実業高校に勤務してから今年で7回目の卒業生を迎えます。「何事も上を目指せ、一流になれ。」そんな言葉をかけて毎年送り出しています。 

本校卒業生の二名が大学サッカーで活躍していると知ったので、関東大学サッカーリーグを久々に見に行きました。彼ら二人は最初入部することを断られていましたが、本人たちの思いを大学の監督さんに私が伝えると入部することができました。一人は審判部として活躍、もう一人はFWでスタメンを勝ちとりました。

私はリーグ戦で卒業生が毎試合出場していることを知ったので試合会場に足を運びました。スタメンで出場していると思いましたが、競技場に入ると、彼は応援席で応援をして試合には出場していなかったのです。前半が終わり、私は彼の元により「どうしたお前が出ていると思ったから来たのに」と言いました。すると彼は「今週だけは調子が悪くて落とされました。来週は頑張ります。」と答えたのです。車で帰っていると私の携帯電話に彼から、「今日は見に来てくれたのに試合に出れなくてすいませんでした。」と連絡がありました。私も「頑張れ、勝って上を目指せ」と一言言って電話を切りました。 一度スタメンを落とされた学生は、這い上がるのに相当の精神力や根気が必要であります。ほとんどの選手はやる気をなくし、モチベーションを落としそのまま試合に出場できなくなることがほとんどであります。しかし、彼はそれに屈することなく立ち上がりました。不撓不屈の東実精神で一週間後、奮起してリーグ戦に出場していました。そして後に彼がこのような事を言ってくれました。「先生がせっかく見に来てくれた日に試合に出場をしていなかったので不甲斐ないと思い、次は絶対に出場しようと思いました。」 彼がどのような理由で奮起したかはわかりませんが、私が起爆剤となったならうれしい限りです。OBにはサッカーで活躍しているだけでなく、お笑いを目指し、必死に人生をあがいている者もいます。また、海外に飛び世界の見識を広めようと努力している者、北海道を自転車で旅して自然の恐ろしさや豊かさを感じている者、一流のシェフを目指し修行をしている者、さまざまでありますが何事にも一流を目指して本校を巣立って行きました。そして、今年もまたサッカー部から20人の生徒が一流を目指し東京実業高校を巣立っていきます。

 

監督随想7

間違った風潮に流れている

 最近、間違った風潮に流れていると思ったことがありました。平成20年10月28日、神奈川県のある県立高校が、入学試験の学力テストは合格点に達していたのに、「服装や態度が悪い」などの理由で受験生を不合格にしていた事件であります。ようするに素行が悪いというだけで不合格になった事件です。不合格とされた受験生は2005年度、2006年度、2008年度の入試で合わせて22人だそうです。この後、この学校の校長先生が謝罪をしていました。

この問題みなさんはどのように感じたでしょうか。私は校長が不合格にしたのは「当然の措置で謝る必要がない」と思っています。確かに公立高校は平等性を保つことを優先され、素行面は参考基準に入ってなかったと言っていましたが、高等学校は社会に出る一歩手前のステージでもあります。その高等学校の入試に「茶髪」「ピアス」「化粧」「態度が悪い」などの生徒は不合格になるのは当然ではないでしょうか。入試という節目で変な格好できたら、普段の学校生活ではもっと乱れるのは目に見えてるのではないでしょうか。また、大事な入試にも関わらず素行面を直してこないというのは、テストで合否を判定する以前に試験を受ける資格がないように私は思います。だから落ちて当然の結果だと私は思いました。最近では点数さえ取れれば何をしてもいい。金さえ払えば何をしてもいい。そんな風潮も漂いつつあります。このニュースを目にしたとき、私は「点数さえ取れれば何をしてもよいのか」と怒りすら覚えました。

昨今では、産婦人科の医師不足で妊婦がたらい回しにされた事件がありました。1990年代後半くらいから日本も訴訟社会になってきたと言われます。裁判とは人間同士の情を解決できないときに法によって争う場であります。人間はまず問題がおきたとき「情」「誠意」で解決するべきではないでしょうか。そんな「情」「誠意」の通じない訴訟の多い社会に代わってきたからリスクの高い産婦人科はなり手が少なくなってきたといいます。残念な話です。

 日本は、「躾」や「社会性」を捨て、点数化、身勝手、我がままを許す風潮になってきていると思います。また、人間の「情」や「誠意」を切り捨て、最終的には法で解決する訴訟社会に変化してきていると思います。私は、日本社会は間違った風潮に流されていると思います。絶対にまた方向転換を余儀なくされると思います。

 本校のサッカー部員は点数だけではなく、躾、社会性を身につけ、情や誠意のある人間に育てたいと思います。今の風潮と逆行するかもしれませんが。

 

監督随想8

「早稲田のラグビー部みたいでしたね。」

  大学ラグビーでは、試合前に全員で泣く姿がしばしばTVで映ることがよくあります。私も清宮克幸氏(元早稲田大学ラグビー部監督)の著書を読んだことがあるので試合前にそのようなことがある事は知っていました。本校サッカー部でも似たような事が今回おこりました。

「早稲田のラグビー部みたいでしたね。」コーチの池田仁がつぶやいた。
池田は本校トレーナーで早稲田大学在学中でもある。その日、選手権大会2日前、メンバー発表にキャプテンが遅刻をした。ユニフォーム配布の準備もできていた。「キャプテンが来るまで全員正座しろ」と命令した。緊張感がないチームを作ってしまったのは誰の責任かと私は自分に問うた。「私の責任である。」私も生徒と一緒に正座した。コーチの大森も私の隣で正座を始めた。25分程遅れてキャプテンが来た。皆の前で謝った。ユニフォームを19人に配った。残り一枚をキャプテンに渡すべきか全員に問うた。全員がキャプテンに着てもらいたいと一致した。
私は、怒った。「ふざけるな!!簡単にユニフォームをもらえてふざけるな」数日前もレギュラー選手が体調不良で休んだ。この時期になると試合に出れないで一生懸命やっている三年生の姿に心を動かされる。これは父母に配るクラブ通信でも書いたが、数人の生徒には6月に試合に出れる可能性は0%に近いと伝えた。しかし、彼らはそこから腐らずに頑張り、練習や試合では下のチームを引っ張り。また彼らは練習を休むことなく、学校生活も本当に真面目な生徒達だった。そんな彼らを馬鹿にするかのように、体調不良で欠席したり、遅刻をした事が許せなかった。 
私は腹がたった。持っていたノートをキャプテンに投げつけた。試合に出れない三年生を思うと泣けてきた。そのつらい気持ちを生徒に思いっきりぶつけた。三年生が泣き出した。三年GK伊藤の一生懸命やってる姿は一・二年にも伝わっているのだろう。連鎖して半分以上が皆泣き出した。コーチ陣も泣き出した。私はキャプテンに最後、「こいつらの分まで一生懸命ピッチで戦ってこい。それでいい」と許した。
各コーチが話し終わり、最後に池田が持ってきたダルマに全員でサインしてメンバー発表会が終わった。

池田が言った。「試合前に皆で泣いて、なんか早稲田のラグビー部みたいでしたね(鹿児島訛で)」
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